またまた遺跡ネタ

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 最近,新聞やテレビのニュースが非常にイヤなものが多くなったと感じます。そんな中で,元々自分が好きだった遺跡等のニュースがあると,嬉しくなってしまいます。そういうわけで,今日も遺跡関係のネタで行きたいと思います。

 まず一つ目。大阪府豊中市の大阪大豊中キャンパス構内にある5世紀末の遺跡,待兼山(まちかねやま)5号墳で,馬とこれを曳く役目の人間の埴輪が対で見つかったそうです。人と馬がセットになった埴輪は出土例が少なく,しかも今回のものは最古級のものだそうです。
 2005年度の調査で、直径15メートルの埴輪片。
 この古墳は直径約15メートルの円墳で,古墳時代の小豪族の墓と推定されるもので,2005年7月から昨年3月の調査で,円墳の周溝から,家の形の埴輪のほか,人間の左手や顔の一部,馬のたてがみの飾りや皮製の手綱などを模した埴輪の破片等約5000点が出土,馬曳人形と馬形埴輪の破片はまとまって見つかったそうです。
 他の出土例と比較した結果,顔の入れ墨を示す模様などから,馬とこれを曳く人間のものと分かったとのこと。実際に出土した部分は全体の約2割で,馬曳人形(高さ64センチ)は左手を上げて手綱を曳き,顔に入れ墨を線で刻んでおり,馬形(高さ78センチ、長さ98センチ)は鞍(くら)やひづめなど細部まで表現されています。
 こんな記事を見ると,大学の授業や博物館実習でやったことを思い出しますね。

 二つ目は,奈良文化財研究所が,奈良市の平城宮跡の第二次大極殿東側で,役所とみられる複数の大型建物跡の基壇が出土したと発表しました。
 奈良時代(8世紀)の役所があったと推定される「東方官衙」という区画で,天皇が即位した大極殿,政務や儀式が行われた朝堂院に隣接した当時の官庁街の一端が明らかになってきたことになります。
 同研究所によると,出土した最大の建物跡の基壇は南北18.7メートル。東西は約29メートルと推定され,周囲は塀で区画されているそうです。どのような役所だったかは不明だそうですが,のちの平安宮では,勅命の起草や外部への伝達を担当した「中務省」などがあった区画にあたります。南側には,東西対称の建物跡2棟の基壇も出土したそうです。
 う~ん,想像するだけでもロマン漂う気がします。

 いつも書くことですが,これらの遺跡等もいつかゆっくり見て回りたいですね。三女が幼稚園か小学校に入ったら,家族みんなで行ってみたいですね。

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