斉明天皇陵確定!?

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 今日は久しぶりに,遺跡関係のネタで行きたいと思います。先日NHKで高松塚古墳の番組を見たせいか,今回のニュースにもろに反応してしまいました。

 長年にわたって斉明天皇陵の可能性が指摘されてきた明日香村越の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)ですが,この度のの発掘調査で,墳丘を八角形に囲む凝灰岩の石敷きが発掘され,八角形墳と確認されたそうです。発表した村教委によると,石造埋葬施設の周りに巨大な切り石を立て並べ,墳丘表面も石で覆った特異な石造の古墳とみられるとのこと。八角形の墳丘は飛鳥時代の天皇陵の特徴で,斉明天皇が被葬者であることが確定的となったそうです。大化の改新が起こった激動のこの時期,八角墳には天皇の権勢を高めようとする強い意志が込められていたと専門家はみているとのこと。
 同古墳はこれまで1912,14,77年の3回にわたり,調査が行われ,その結果,巨大な凝灰岩をくりぬいた埋葬施設の横口式石槨が2室あることが判明。これは,日本書紀に記された斉明天皇と娘の間人皇女の合葬に一致するとして,研究者の注目を集めました。
 また,布と漆を何度も重ねて作った「夾紵棺(きょうちょかん)」の破片が大量に出土。天皇を含む高位な被葬者だけに用いられた棺であることも,斉明天皇陵説を後押ししていました。
 今回の墳丘のすその発掘で,幅約1メートル,深さ約20センチの溝の中に凝灰岩の切り石(長辺約40~60センチ,短辺約30~40センチ,厚さ約30センチ)を敷き並べているのが見つかったそうです。石敷きは9メートルの1辺と,135度の角度でつながる左右2辺の一部が確認され,墳丘を八角形に囲んでいることが分かったとのこと。八角形の対辺の長さは22メートルで,石敷きの外側の小石が敷かれた部分を含めると対辺32メートル以上。

 日本書紀によると,斉明天皇は661年に死去。667年までに娘の間人皇女と合葬されたとの記載があります。
 また,続日本紀は,陵が699年に修造されたと伝えられています。
 埋葬者が確定されている野口王墓古墳(天武・持統天皇合葬陵)など7世紀(舒明天皇から文武天皇まで)の天皇陵は八角形とみられ,牽牛子塚が天皇陵であることは確実とされてきました。
 間仕切りをして2室にした石槨の構造,間人皇女と同年代の女性とみられる歯などの出土品と合わせ,斉明陵は宮内庁が指定する奈良県高取町の車木ケンノウ古墳ではなく,牽牛子塚古墳であるとほぼ確定したそうです。

 因みに,これまでの調査で同古墳から出土した遺物は,明日香村埋蔵文化財展示室(同村飛鳥)や県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市畝傍町),奈良文化財研究所飛鳥資料館(同村奥山)で展示されているそうです。
 現地見学会は11,12日午前10時~午後4時に開催されるとのこと。行きたいけど,ムリだなぁ。

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