行方不明の宝刀,1250年ぶりに確認!!

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 今回のニュース,歴史のロマンを感じますよねぇ。行方不明になっていた宝刀が1250年ぶりに見付かったと言うんですからねぇ。

 東大寺大仏殿の土中で明治時代に見つかった「金堂鎮壇具(国宝)」のうち,「金銀荘大刀」2本からそれぞれ「陽劔」,「陰劔」と書かれた銘文が見つかったそうです。保存修理のためのエックス線撮影で判明し,同寺と元興寺文化財研究所が25日発表しました。
 光明皇后が,夫の聖武天皇遺愛の宝刀の筆頭として正倉院に献納し,3年後の759年に正倉院から取り出して行方不明になっていた2刀とみられ,1250年ぶりの所在確認となるとのこと。
 剣は鉄製で,共に長さ約1メートル。1907年,大仏様が座る須弥壇南西,右ひざ下付近に掘った深さ約45センチの穴から出土し,銀のつぼ,真珠等と共に「東大寺金堂鎮壇具」として国宝に指定されていました。
 元興寺文化財研究所が保存修理のためにエックス線撮影をして9月30日,柄付近に銘文を見つけたそうです。金属を削って別の金属を埋め込む象嵌技法で,さびのため肉眼では見えないとのこと。
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 銘文は,光明皇后の大仏への献納目録「国家珍宝帳」に記された刀100点の筆頭と同じで,長さや装飾の特徴もほぼ一致しており,珍宝帳の2刀の項目には,正倉院に納めた後に取り出されたことを示す「除物」の付せんがあり,別の記録から光明皇后が亡くなる約半年前の759年12月26日に取り出されたことが判明しているとのことです。(除物されているものは,今回の刀を含めて計7点あったそうですが,現存が確認されたのは今回が初めて。)
 また,今回の調査で,別の鎮壇具「銀荘大刀」から,皇帝の文様である北斗七星を表現した「七星文」も見つかったそうです。聖武天皇にかかわるものだった可能性が高いとのこと。
 東大寺と言えば,皆さん御存知のとおり何回か兵火で焼け落ちために,現存する大仏殿(現在の大きさは当時の約3分の2)は江戸時代の再建で,大仏様は台座と袖,脚等の一部に当初部分を残すのみで,体部の大部分は中世の作,頭部は江戸時代の作となっています。
 それらの災害も地中に埋められていたことにより乗り越えて,1250年経った現在に確認されるなんて,歴史のロマンを感じますよね。

 因みに,「国家珍宝帳」ですが,これは天平勝宝8(756)年6月21日,聖武天皇の七七忌(四十九日)に,光明皇后が東大寺大仏に献納した天皇の遺愛品の目録のことで,記載された楽器や刀剣等六百数十点の宝物は正倉院に納められ,これらが正倉院宝物の基になりました。

 現在,奈良国立博物館では「第62回 正倉院展」も開催されていますが,その会期中にタイミングを図ったかのような発表ですね。
 今回の刀の公開は未定だそうですが,正倉院展も好評のようですし,71件中14件が初出陳だそうですし,行きたいなぁ。でも,遠いなぁ。

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